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記録

異性愛社会が怖い(経過記録)

夢を見た。
父と父の友人が出てきた。二人とも私にとって安心できる存在だ。
しかし夢の中で二人は私を殺す計画を立てていた。正確には殺そうとしていたわけではなく、別の殺人計画を実行するために致し方なしに私を殺さねばならない状況になったのだ。
私は手にかけられそうになり、とてつもない恐怖を味わったがしかし、計画は頓挫し助かった。
それからは父も友人もいつも通り優しく接してくれた。
けれど私はあの恐怖が拭えずにいた。二人してまた私を殺そうとしてくるのではないか。なにかあったらすぐに私を殺せるだけの用意があるのではないか。
不信感が募り年月が過ぎた頃、私は二人の前で泣いてその恐怖をぶちまけた。怖かった、まだ怖い、と。
しかし二人は私の訴えにまるで無関心な様子で、号泣する私を何も言わず無表情にただ眺めていた。



そこで目が覚めた。

元カノの夢だと思った。
元カノが、私をその意図なく殺そうとして、私は恐怖に脅かされながらその後付き合いつづけていたのに、元カノはその重みをまるで理解しなかった。そういう夢だ。
私にとって「同性愛は存在してはいけなくて正しく異性と恋愛すべき」という、元カノのひいては社会権力の思想は、存在を殺されるに等しいことだったのだ。
夢の中での父=権力の象徴としてのマジョリティー社会、父の友人=それに服従する元カノと解釈できるだろうか、と思った。
昔元カノの目の前で発作的に狂乱したことがある。「異性と恋愛すべき」という差別規範によって私たちの関係が紛い物と思い込まれること、壊されること、屈すること、その終焉が怖くて怖くて何を発声してるかもわからずただ発狂したことがある。元カノは呆然と眺めていた。
これは元カノの夢だ。寝る前に『ユーリ!!! on ICE』の全話感想を泣きながらつづっていたので間違いない。

ユーリの7話で号泣したとき、私はもうだめだと自覚した。
最近この手のものに弱すぎる。
同性愛を肯定してくれる価値観に弱すぎる。
先日もBL漫画を読んでいてぼろっと泣いた。↓ただこれだけの台詞に。


可愛い先輩の飼い殺し方 
(『可愛い先輩の飼い殺し方』市梨きみ p161)

だって元カノは隠さなければならないと厳しく私と自己を律したのだ。
ただ「同性愛は異常だから」という一点の理由で。「ドン引きされるだけだから」。



二度と女を恋愛対象とすることができなくなり、せめてこの弱さを薄めるだけの安定がほしくて男と付き合うことにした。
少しは気が晴れるかなと思ったら今度は「社会の弾圧に屈した自分」が悔しくてのたうち回ることになった。それで書いたのが前回の記事だ。

私はもう存在するだけで社会への抵抗になってしまうような関係を構築することができない。抵抗できる余力は残っていない。好きと言われて「他に好きな男がいるって意味?」とか「友達としてってことなのかな?」とか「この関係いつまで続くのかな?」とか常に不安でいたくない。
しかし百合漫画を読んだらもう女を愛せない自分が悲しくなって泣きそうになった。
王道恋愛少女漫画を読んだら異性愛のあまりのマジョリティー特権ぶりに打ちのめされた。
だめだ。 

「同性への友情と恋愛感情があやふやになる思春期に同性と親密すぎる関係になって、成長したら勘違いの関係を終了させ健全に本番の異性愛を迎える」
私の戦いがこの呪いに回収されてしまうことが悔しくてならなかった。
私は女が好きなのに。女を好きでいたかったのに。ヘテロセクシズムのせいでホモフォビアのせいでお前らがファッションレズとか勝手に認定してくるせいであんまり同性愛を無化しようと弾圧してくるせいでなんで私がそんな強者に都合のいいクソみたいな呪いをかけられなきゃならないんだ。


セクマイ系が多めの飲みに行ったら、「えっゲイなんだ? タチ? ネコ?」「女装しても本物の女には勝負で勝てないよね」と言い募る人がいた。

接客業の職場で、かわいくて気遣いやさんで始終笑顔の気持ちいい女性客がいるなーと目の保養にしてたら、その人が連れとの会話の中で成宮寛貴氏のことをネタにした。

「ゲイの友達ひとりはほしいですよね~」と悪意なく発言する人の声が聞こえた。

とらのあながカテゴリー分けに「BL・百合」の他に「ホモ・レズ」という表記を使った。
企業が公然とそれをすることの意味を丁寧に説明した抗議メールを送ったら「差別用語だとわかっていてもその検索ワードを使う人が多いので商業上の理由でやめない」(意訳)と返信がきた。倫理ってなんだろうな。


すべてここ3ヶ月の出来事だ。
そんな社会に私は住んでる。
絶望するまでもない。とうの昔に痛みは麻痺した。ただこの社会は私の理想にほど遠い、そういう事実があるだけだ。




元カノのことが完膚なきまでにトラウマであると判明してから、友人数人にそれを打ち明けた。
「男女であるべきでしょ」と吐き捨てられたことが今も深い傷を残してるんだよね。同性愛は存在しないと思い込まれていたんだよね。訥々とそういう話をした。

しかし、なんだか今ひとつ伝わってないな、と感じることが多かった。私のこの傷が、そっくりそのままの重さで共有されてないな、「紛い物ですよ」のくだりを話すべきだったか?、なんだろうな。
例えば「それはさ、たとえ男女の恋愛だったとしてもひどいよね」と言われたり。
例えば「新しい恋愛をすればそっちで発生する不安にかかりつけることでそのトラウマはなくなるんじゃない?」と言われたり。
「えーっ、そこで異性愛が憎いとまで思っちゃうの?」「あー、なんでもそこ(異性愛規範への恐怖)に帰結しちゃうんだね」と言われたり。私がとてもひどい事例だと思って話してるのにいまいち反応が薄かったり。
それは話し相手本人がセクマイである場合でもマイノリティー差別に関心が高い人の場合でも同様で、なんで伝わらないんだろうと不思議だった。

5人めに「やっぱり伝わってないなあ」と首をひねったとき、やっと腹から理解した。
同性愛が社会に無化されるヘテロセクシズムの恐怖の手触りは、言葉を尽くしただけでは基本的に「わかってもらえない」。
「男女であるべきでしょ」の呪いも「所詮紛い物ですよ」の呪縛も「友達として好きだよ」の煮え湯も全部、日々社会権力がどれほど同性愛を殺そうとしてくるかリアルな恐怖として実感しなければわからない。これらの言葉に込められた意味やその背景は、文字面だけでは伝わらない。

元カノが勝手に個人的に同性愛がおかしいと思い込んだわけじゃない。
社会が丁寧に「同性愛は存在しない紛い物だ」「異性愛をしなければならない」「マジョリティーが絶対的に正しい」と彼女に刷り込んだから、その社会の末端で私と彼女の恋愛はまさに殺されんとしていたのだ。父たる社会の権力に。



「不快な思い」とは何か 日本マクドナルドの対応から考えるメディアと差別の関係

http://mess-y.com/archives/38917

>メディアのコンテンツが度々批判を浴びるのは、単にそのコンテンツ自体が不快であるとか、それを見て傷つく人がいるとか、そういう理由ではない。メディアが差別のシステムの重要な役割を担っているからなのだ。

マサキチトセさんのこの言葉は実に明快で慧眼。
元カノを洗脳し、女が好きである私を殺し、私たちを束縛し苦しめた差別思想は、例えばこういう形で社会に日々精力的にばらまかれつづけている。今も。

私の恐怖は個人の問題に還元されない。社会が同性愛を否定しなければ私たちの恋愛も問題なく運営されていたはずだ。
だから社会が怖くて憎い。お前のせいだ。お前さえいなければ。
高校生の頃、私の理想の別れ方は「大学に入って互いの生活のすれ違い」だった。ありふれた恋愛のありふれた終わりを迎えるそれだけが望みだった。何度も言うけど異性愛をすべきだからという別れだけはなんとしても拒絶したかった。
それを個人の問題として矮小化されたり男女の恋愛と同様のものだと扱われたりするのは、この恐怖を知らないからなのだ。絶望するまでもなく歪んだ社会が機能している恐怖を実感していないからなのだ。


わからないでしょう、恋愛の話でもないときに友人相手に財布ほしいなーと他愛ない話をしたら「彼氏に買ってもらえば?」と返されたときの恐怖なんかわからないでしょう。
異性同士が恋愛をして当然とされ、同性同士に恋愛がなくて当然とされ、異性と恋人関係になった途端異性愛ロールに回収され単なる「男と女」の記号と認識され、私個人がほしいと言った財布すら「女が男に買ってもらう」なんて規範の内部に取り込まれ、たちまち規範にそぐわない「女を恋愛対象にする女」である私が削ぎ落とされる、この恐怖なんか。
社会がどれだけ異性愛規範を基準に動いて同性愛を排除するか。私がどれだけ女を愛したか。愛していながらどんな思いで殺され敗戦し逃げて諦めたか。
わかんないよね。



悔しいんだよ。
私は男になんか回収されたくないんだよ。

パートナー氏は、女がよかった女が好きだ異性愛が憎いマジョリティーが憎いと喚く私を受け入れてくれる。好きなだけ吐き出してくれと言ってくれる。
「なんでこんな簡単なことが、できなくて、許されなくて、隠さなければいけなかったんだろう」という話を、勝手なものさしで測ることなく、ただ聞いてくれる。


パートナー氏とクリスマスイブに東京の街を転々と歩き回ってきた。

私はずっと可視化されたくて、いないことにされたくなくて、思考タイムラグなく疑う余地なく世界に認識されたくて、戦ってなどいたくなくて、だからマジョリティーになりたいと思って24日に会う約束をした。

だけど見渡せばそこかしこに湧き出てくる異性カップル。見える背中の数々はマジョリティーの強者性など頭の隅にも浮かべたことのないように堂々としている。

中身はそうではないのかもしれない。異性愛に見えてもMtXとパンセクカップルなのかもしれない。けれどそんなこと外見からではわからないだからマジョリティー様だと思い込んでしまう。私もその風景のひとつを飾っているのだと思うと耐えられなくて自分のプレイしてる「男女カップル」像をなるべく思考から追いやった。

その風景の中に仲よさげな(恐らく)男性二人を見つけた。カップルだったらいいなと思った。それも私の勝手な押し付けでしかない。自分の嫌なレッテル貼りを彼らにしているだけだ。でもこの異性愛地獄トーキョーの中、存在するだけで社会への抵抗になってしまう関係をプレイしてたら私が救われる。手を繋ぎたいのに繋げていないのだとしたら悲しい。じろじろと不躾な視線を彼らに与えてしまうのだけは嫌で不自然にならないように目を逸らした。



削られることが怖かった。
女を好きでありたかった私が強大な「異性愛」の洪水に巻き込まれ足元を奪われることが怖かった。
私がマジョリティー特権を得てしまうと戦っていた私に申し訳が立たなくて後ろめたくなった。
私を削ってこない人がパートナーとして隣にいてくれるのがありがたくて、少しだけ落ち着いた。

削られたくない。削られた自分が可視化されてもなんの意味もない。もう二度とマジョリティーになりたいなんて言わないと誓った。


パートナーを作れると思ったのは、精神安定がほしくて、そのための信頼関係構築コストなら割けると思ったからだ。
付き合ってから次に会った日にパートナー契約内容確認会議をした。
まずモノアモリー関係だよね? という確認から。
浮気の定義を話し合うのは楽しかった。浮気相手像の性別如何で定義が変わったりしないことがありがたかった。まあ男となんか浮気したいとも思わないけど。


会議をしながら、「なんか『逃げるは恥だが役に立つ』みたいだな」と思ってた。
ドラマ版はまだ見てないけど、私が持ってる原作はセクマイ系のオフ会のくじ引きで貰ったものだった。連載初期から漫画読みのセクマイ界隈では話題だったね。
振り返ると「恋愛」という暗黙ルールに制約されるゲームで改めて契約内容確認会議をしようと思ったのは『逃げ恥』と『逃げ恥』を生み出した社会の空気を参考にしたからかもしれない。
私は、私たちは、どうしても社会の一員であり、意識的無意識的に社会の影響を受けて生きている。


私は女との「恋愛」を諦めたから男との「結婚」を見据えたとかそういうことではない。
そもそも結婚を視野に入れることのできるマジョリティー特権が今は憎くて仕方ない。

元カノを振ったとき「私はいつまでも私と付き合い続ける意思のない人と一緒にいてこれからいくつの出会いを無下にするんだろうって思ってた」と言ったら、「既にしてるよね……」と返されて、何百度めかの失望をした。
きみは女が男と付き合うべきだと思い込んでるから、私が男を拒んだことを「出会いの損失」としか呼べないんだろう。私は彼らに惹かれてるなどとは一言も言ってないのに。何度もきみを好きだと言ってきたのに。応えてくれるなら別れたくなんかなかったのに。
「じゃあ今度付き合う人は結婚前提ってこと?」と言われて、私の次の相手が男だと微塵も疑ってないのだなと思った。
私の言った「付き合い続ける」って一生を預けあう合意形成でもなければ公的行政契約関係でもない。今とここだけの刹那的関係だとおざなりに扱われないことだよ。
いっこも伝わらなかったな。

恋愛は諦めてない。というか元々単なる趣味のひとつだ。
ただ、社会に殺される心配のない恋愛というものにどう向き合っていいかわからない。私は敗者になってしまったから。
私がこの恋愛を趣味として謳歌するだけで社会への屈服を実感させられることになる。自分への後ろめたさが増幅する。あんなに戦ってきたのにね。悔しさを忘れたくないのにね。私は難なく異性愛を楽しんでしまえるんだね。
「女は遊びだから☆」「親に孫の顔見せたいから……」「いちいち会社や人に説明するのが社会的に命がけで面倒だから」「結婚して社会的ステータスを得たいから」「かわいそうな独身という視線にさらされるのが耐えられないから」「福利厚生の恩恵に与れないから」、異性愛をしろと世間が言うからという理由で別れる可能性を考えなくていい異性愛の圧倒的強者ぶりを前に呆然とする。


また別の夢を見た。今度は直接的でわかりやすい。
小学校の昇降口だった。そこでは下駄箱を挟んだ両側に出口が設けられており、一方の出口に見知らぬ好みの美少女が、もう一方に10年ほど前付き合っていた彼氏が座っていた。
私は少女に強く惹かれて声をかけたいと思うのだが、躊躇しているうちに少女はさっさと外へ去ってしまった。眩しい日差しにきらめく少女を私は未練がましく見送るのだった。
元彼は「強く恋しく思ったことのある男」という意味合いでたまに夢に出てくる。そんな男の存在を思い出すには10年も遡らなければならない。その間に惹かれた女は4、5人いる。夢に彼を引っ張り出さなきゃならなかったのは、自分好みの男など作り上げることもできないほど男に興味がないからだろう。
そして夢の中で彼に振り返って、そちらに行こうと思ったけれど、迷って立ち竦んだまま目が覚めた。

私は女を追いかけない。追いかけられない。彼女たちは去ってしまった。
もうひとつの出口はある。私は男の手を取れる。きっとただ迷ってるだけ。所詮はお前も異性愛を選ぶんじゃないかと自責の念が重たいだけ。私は負けた私を正しく弔う方法をまだ知らないだけだ。
そういえば中学3年生のとき「高校入ったら彼女がほしいなあ」と思っていたら、夢の中でとびきりかわいい彼女ができたことがあったな。花岡さんという人で、まあ高校の新入生名簿貰って真っ先に調べたもののそんな名前の人ついぞ会わなかったけど、社会や男に目もくれず私のことだけ見ていてくれる、髪が長くて背の小さな愛しい女の子だった。

もう少しだけ悲しませてほしい。限りなくいとおしかった彼女たちの後ろ姿をぼんやり眺めて感傷させてほしい。いつか立ち直れるから、立ち直れてしまう自分を社会への屈服と捉えることを許してほしい。

今は戦っていた自分への未練を思って事あるごとにあふれる涙に安堵している。
悔しさだけ残して後ろめたさを忘れる方法が知りたい。

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