スポンサー広告

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

記録

私の「恋人」の定義、「恋愛感情」の定義、友達と恋人の相違

私パートナー氏のことめっちゃ好きなんですよ。
こんなに好きになると思ってなかった。びっくり。
なにより私の感情をとても大事にしてくれて私はいつもつい自分の感情を後回しにして相手がどう思うかに合わせて謝ったり「大したことじゃないんだけど」と断りを入れたりしてしまうんだけど氏は必ず「大したことなくないでしょ」って私の感情を見つけてくれる。
私はやっぱり女を好きになれなくなったことが今でも悲しくて泣くたび悲しみが生々しく感じられて安堵しながらそれでも泣くんだけど「私があなたを好きになればなるほど女を好きな私はどこにいっちゃうんだろう……」と吐露したら間髪いれず「俺は覚えてるよ」って言ってくれて本当に嬉しかった。どこにもいかない。(いま変換したら「かんはついレズ」になって笑った)
なんかほんとに好きなの。






その一方で元カノのことがいまでも好きなんだと日増しに思い出していく。

前回までの記事を書いたときはまだまだ彼女への恨みが大きかったんだけど私が根本的に恨んでるのは元カノじゃなくて社会です。
前回の記事を人に読んでもらったときにしばしば「一人厄介な女に当たっただけでしょう、なにも女すべてを諦めなくても」と言われるんだけど、私は元カノが厄介な女だったから諦めたんじゃなくて、元カノを通して同性愛を殺してくる社会の大きさを知ってしまったから諦めたので、これ以上太刀打ちする気力はないんですよ。社会に。(今現在の"LGBT"という単語が浸透して地方自治体から社会を変えようとしてる人たちがいる日本社会でも全然足りない、全然息はできない)

それでパートナー氏が私の悔しさも悲しさも全部受けとめてくれたから私はちゃんと元カノへの恨みと社会への恨みを切り分けることができて、そしたら元カノへの恨みは急速にたち消えていって残ったのは彼女が好きだという気持ちだけだった。

彼女は私の感情なんかひとつも大事にしてくれなかった。
私が不機嫌になるとどうしてそうなっているのかには思いも馳せず私が不機嫌になったことに対して「自分を蔑ろにしている」と思って不機嫌になった。私がつねに優しく笑っていなければ離れていってしまった。
でも好き。

「○○だから好き」よりも「○○だけど好き」のほうがホンモノだなんてロマンティシズムには与さない。私の恋愛にロマンは必要ない。
瞬間風速力で比較すれば圧倒的に元カノへの想いのほうがパートナー氏へのそれより深く重く大きかったけど、いまは、一度好きになった人への執着を断てないだけだ。あんなにも深く好きになって好きあってお互い依存しあった人に対して感情が消化不良なままだから忘れられないだけ。

会いたい。何年も会ってないのに一度会いたいと思ったら離れなくなった。




前置きが長くなったけどそれをパートナー氏に相談してたら私の恋愛観が完全にはっきりしたので記しておきます。





自分の今までの恋愛傾向として好きになったら付き合わなきゃ気がすまなかったんですよ。
付き合わない恋愛は意味がないので、その人は私のことまったく好きじゃないんだな、あるいは他の人のことが好きなんだなと確信を持ったら冷める。友達として付き合うかどうかは関係次第。

それはモノアモリー観を内面化していたときだったので、ポリアモリーを理解してからは「恋人が私と他の人どちらも同じくらい好きだと信頼を持てたら私は冷めなくなる可能性がある、かもしれない」と思うようになった。


「友達と恋人の違いがわからない、どう違うの?」という悩みや疑問を聞くたびに全然理解できなかった。その人たちの疑問はともかく自分事としてその感覚がまったくない。
友達は自分のなかで友達カテゴリーに入れた人のことだし恋人は恋人カテゴリーに入れた人のことだ。


それと私にとってセックスは大きな意味を持たない。
無駄に意味づけする価値観が嫌いだ。したいならする。したくないならしない。シンプル。
ハグしたいって欲望があってその延長線上にキスしたいセックスしたいって欲望が生まれて環境がそろえばする。


そんなだから、私は元カノのことが好きで、会いたくて、たぶん会ったら触れたくなるし、セックスしたくなるんだろうって確信がある。
でも絶対よりは戻したくない。もう二度と恋人関係を育みたくない。トラウマだからだ。






って感じのことまでは今までもわかってたんですけど。
パートナー氏と色々話したら煮詰まった気がする。

前提として、今までも何度か浮気の定義についてすりあわせを行っていて、とりあえずすぐに許可されたのは「風俗は行っていいけど友人知人とはヤっちゃだめ」だった。
「風俗は性欲を発散するって目的とサービスだからいい。でも知ってる人となら、そこに恋愛感情が発生する可能性がある、ていうか、なんで友達とヤる必要があるの? するってことはそこになんらかの情があるってことでは? って俺が疑ってしまう」

とりあえずそうか、と納得した。




でも今回、友人知人とヤったところで私は恋愛感情にならない確信があるので浮気の定義を見直しましょう、あと元カノと会いたいし好きって言いたいしあの頃なにを考えてたかって話をしたいしヤりたいけどあなたの信頼を裏切ることはしたくないという話をした。


「というわけで、私にとってセックスって大した意味はないから今まで友達とヤらなかったのは偶然でしかなくもしヤってたとしても友達に対する感情は今と変わらなかったと思う」

「そっか、それなら風俗に限定しなくてもいいよ」

「では元カノに関しては?」

「会ったらいいんじゃない」

「いいの? 会ったらヤりたくなっちゃうと思うけど」

「よりを戻す気はないんでしょ? じゃあ会えば?」


まではスムーズだった。

「高校時代私の願いは『彼女とずっと一緒にいること』だった。でもずっと一緒にはいられないんだろうなって諦めてからは『ずっと両想いでいること』になった。今でもきっとそうなんだと思う。
だから元カノがもう私のこと好きじゃなくなってたら私はショックを受けるし、仮に会って、仮に私には今付き合ってる人がいると伝えた上でセックスして、それで「友達になろう」って言われたら私はそれを「ずっと両想いでいようね」という愛の告白として受け取るので迷うと思う。それでも会っていいの?」

「いいよ。友達でしょ? でもその後そういう行為が複数回に及ぶのはダメ。そしたら恋愛と見分けがつかなくなるから」

「なぜ?」

「一回めはさっき言ってたように気持ちの区切りとかそういう意味が含まれるってわかるけど、複数回となるとそれはそれだけの感情があるってことじゃん。それは恋愛にしか見えない。好きで、複数回セックスをして、それを恋愛と呼ばない根拠はなに?」

「逆にそれを恋愛と呼ぶ根拠はなに?」

「うーん……。でも複数回する根拠は恋愛感情でしょ。好きだからするんでしょ」

「会いたい根拠も友達になる根拠も好きだからだよ。好きじゃなかったら会いたくならない。それは許してくれるのに行為があるかないかの違いで切り分けるのはなぜ?」

「……。"友達でいよう"はセーブがあるじゃん。セックスがあったらもうそれは恋愛にしか思えない」

「気持ちに禁欲があればいいの? 私は元カノと恋人的なコミュニケーションがしたいから友達になりたくて、そこにセックスが存在するかどうかは特に重要じゃないけど、それでも?」

「うーん」


ここでパートナー氏の認識を表におこした。

画像


「性行為あり(複数回)、恋愛感情あり」が論点である。


「俺には恋愛にしか見えないけどこれを恋人じゃなかったらなんて呼ぶの?」

「……うーん、なにとも呼びたくない」

「恋人ってなに?」

「"恋人"と認識した人」




二時間ほど話して時間切れ、帰宅。

別れてからなんだろうなあと反芻して、やっと、私のなかで「恋人」「恋愛感情」「友達」の定義が定まった。



恋人は、自分の人生全部を抱えてダイブしていい相手のことだ。


これで全部繋がる。

付き合ってくれないとわかった相手にすぐ冷めるのは、私のことを受け入れてくれない人にはダイブできないから。
恋人と友達のちがいが自分のなかで明確なのは、その人に自分全部さらけだしていいと思っているかどうかというわりと明確な基準が設けられているから。
「恋人」に恋愛感情の有無も性行為の有無も重要じゃないのは、恋愛感情/性行為はそれそのもので自分をさらけだす必要があるものじゃないから。
元カノのことがこんなに深く傷になってるのも、あの頃私は彼女に人生全部かけてダイブしてたから。だからずっと一緒にいてくれるかどうかが大事で、女同士だからという理由でそれができないと言われたとき社会を恨んだ。
いまパートナー氏と付き合っていてこんなに安定してるのも全部さらけだして受け入れられる私の理想の恋人関係が築けているから。


甘えたいとか自分をさらけだしたいとか受け入れてもらいたいって欲望がまず大きい。
でも早々できない。
生育環境的な問題もあって親にはさらけだせない。
好きな友人、深い関係だと思える友人はそれなりにいるけどその人たちにもどこか心理的に抑制をかけてしまう。弱音を吐けないとかもそうだし「あ、この話口にはしてみたいけど些細すぎてどうでもいいから/いま話してる本筋には関係ないから話すのやめよう」って抑制もある。

恋人ならば、どうでもいい話をしてもいいし、弱音を吐いてもいいし、甘えていいし、頼っていいし、好きでいていいし、互いの人生の少なくとも一定期間は責任を取りあっていいからダイブできる。
って思ってる。
あくまで私の話ね。恋人に比べて友達やほかの関係が劣っているとか恋人関係以外を軽視してるとかって話ではないです。
百合業界では様々な意味を含んだ「お友だち」が万能フレーズなんだぞ。




そういう恋愛観のなかでは、「恋愛感情」は単に「恋人関係」にコミットするためのツールに過ぎないんですよ。
所詮私も少女漫画育ちなので「恋愛感情ー恋人ー結婚」モデルに惑わされてたんですね。女が好きなので結婚≒ずっと一緒にいる意思があることという理解でしたけど。

私の「好き」は選択なので、好きになろうと思ったら自己暗示つづければなれる。なろうとしなかったらならない。
ドキドキするとか無性に会いたくなるとかときめきとかそういうものってすべて「期待」って言葉に変換できると思うんですよね。(嫉妬とかも期待の亜種だと思う)あるいは身の危険信号を誤解する吊り橋効果かどちらか。

恋愛においてベットする(懸ける、じゃなくて賭ける)「期待」の大きさって莫大ですからね。
そのぶん叶ったときの嬉しさ・快楽はでかい。
それが私の「恋愛感情」の正体。私はこれを恋愛感情と呼んでいる。
なんか少女漫画とかBLとか読んでてときめくことも多いけどあれ自分のなかで起きる反応って恋愛感情とまったく一緒なのよね。
ただ「受け入れてもらえないかもしれないけどもらえるかも」と思いながらする恋愛は賭ける量が自分でコントロールできなくなるから振り回される。これが恋愛の業。
オタクってよく「これは失恋としか形容しようがない」みたいな事態になるけど(付き合いたいとは思ってないけど推しが結婚したとか)あれもなんらかの期待が報われなかった、幻想が崩壊したことに対して「失恋」と呼んでるってことだと思う。
だから私もよく失恋する。

パートナー氏と付き合って少し経ったころ、「女相手だとどうしても性欲ありきで見てしまって本当にマッチする相手なのか吟味する目が曇っちゃうから、もしかして私、最初から性欲フィルターかけずに見れる男を選んだほうがよかったのでは!?」と気づいてしまってちょっとショックだった。


当然「恋愛感情」と「好き」も違う。「好き」のなかに「恋愛感情」が含まれる、恋愛感情⊂好きって感じ。
パートナー氏のことは好きだし愛しいし一緒にいたいしできるかぎり私の与えられるものは与えたいし応えたいけど恋愛感情は少ない。受け入れられるってわかってるから期待は大きくなりようがない。
期待すべてが恋愛感情とは言わないので恋愛感情⊂期待ですけど。


で、ついでに「友達」は、ある程度気後れなく自分の言いたいことを言える相手、といったところでしょうか。
だから恋愛感情があっても友達だしセックスしても友達。
性行為あり(複数回)かつ恋愛感情ありについては名をつけない。二次元でいえば恋愛感情かもしれないけどそうじゃないかもしれないけどセックスしてるカプがめちゃくちゃ好き。

わりと結論が出たと思ったのでタイトルに【完全版】ってつけたい。




「だから、たとえ元カノに恋愛感情があっても複数回ヤるなんてことになったとしても、あなたへの気持ちになんの変化もないし、元カノのことを恋人とは呼ばない。私は元カノの人生にはもうなんの責任も持たないし、自分をすべてさらけだしたいという欲望もわかない。
……っていう話を聞いても納得できない?」

「え、なんで今ので納得してもらえると思ったの」

「え……私にとって重要なのは『恋人』でしかなくて恋愛感情も性行為も意味がないものなのになって。だから私はあなたに恋愛感情のない状態で付き合おうって誘ったんだなって気づいたの」

「ああ……でも、俺は無理」

「なんで?」

「一回ヤるのは目的がわかる。でも二回目以降の目的は? 他の人とするのは女体恋しさっていう目的があるけど、元カノさんとなら別の意味になるでしょ」

「女体を求めるのはいいけど元カノを求めるのはだめってこと?」

「特定個人を求めるのがだめ、かな。あとたとえあなたが恋愛感情も性行為もなんとも思ってなかったとしても相手方はどう思ってるかわからない。別にセックスしたいなら風俗でもなんでもあるのになんでわざわざ火種を起こしにいくのか」

「仮に、まあ今までのも全部仮の話だけど、仮にうまいこと元カノとそういうことになれたとしたら、他の人よりそういう雰囲気になる確率が高い。私は元カノとは恋人コミュニケーションしか知らないしできないから。風俗は行こうとしなければなんもないけど元カノとなら単純に可能性が高くなる」

「てことは、友達として何回も会ったらそういうことになる可能性があるってこと? それならやっぱり会ってほしくもないかな。一回会ってさよならっていうならいいけど、それ以降はちょっと。……ごめんねわがままで」

「いえいえこっちがわがままですから。笑
なるほどね。じゃあそれも含めて色々、本当に会うかどうかも考えるね。会いたいっていうのは元カノに対してもエゴだし傷つける可能性もあるし」





他にもごちゃごちゃ話したけどだいたいこんな感じで妥結しました。
パートナー氏は特定の他人を恋愛感情から求めることを浮気だと規定していて、求め方として単に逢瀬を重ねるだけならいいけど想いの結実/実行としてのセックスがあるのは許容できない、ということ。
セックスには目的を求めていて、目的が「自分なかのなんらかの感情を処理する」ことなら自己中心なのでいいけど「相手を求める」となると自己より相手の比重が高くなるので無理だと。

たぶん私は相手が他の人と恋愛感情によるセックスをしていても私の存在意義はその人とは別にあると思えるので私への思いやりや態度に代わりなく私に生活を捧げてくれたら平気な気がする。あーでもその状態でその人への想いやその人との生活が臭わされるのは嫌かな。
ポリアモリー(というかポリガミーのほうかな?)についてはちょっとたしかな想像が及ばないので「もしかしたら大丈夫、かもしれない」の域を出ない。

あ、元カノには会いたいけど、すりあわせの仮定のために持ち出しただけで、今すぐ会う気もセックスに本当に持ち込めるのかも仮に持ち込めたとして二回目以降つづける気もあんまりない。

スポンサーサイト

記録

「一橋大学アウティング事件裁判経過の報告と共に考える集い」に行ってきました。

2017年5月5日、アウティング事件の報告集会に行ってきました。
私はこの件を詳細に追っているわけではありませんが、この場で述べられたことをメモにとり、それをまとめました。


裁判報告についての配布資料がこちら。

↓進行次第・パネリスト一覧
進行

↓時系列の整理
整理


↓原告・相手方学生・一橋大学の主張、裁判の進行、問い合わせ先
主張

本件概要についてのメディア記事:一橋大学ロースクールでのアウティング転落事件〜原告代理人弁護士に聞く、問題の全容
一橋大・ゲイとばらされ亡くなった学生 遺族が語った「後悔」と「疑問」

今回の集会についてメディアのレポ:「差別の視線が同性愛者を死に追いやる」鈴木賢教授は訴えた。一橋大学アウティング事件



問題のまとめ。

・本質は「同性愛者の自己受容」「恋の告白を言いふらされたこと」ではなく「アウティング」「いじめ」
・本件はプライバシー権の侵害に該当。「ゲイ」はセンシティブな情報。アウティングは死に至らしめる危険な行為
恋愛のもつれとして扱われてしまうがそれはちがう。社会の問題
・強制異性愛主義(ヘテロセクシズム)の犠牲。「同性愛者である」から苦悩が生まれるのではない。大学や社会による同性愛への異端視、差別が、同性愛者を死に追いやる。アウティング→自殺に至るひとつのパターンがあり、これは社会構造の問題。これを被告側が理解していないことが問題
・加害者学生は「アウティングより他に取り得る手段はなかった」のか?
・一橋大学の対応は適切だったのか?



【加害者学生の主張詳細(レジュメより引用)】

1 本件アウティングはプライバシー侵害の「公開」には該当しない
2 アウティングと被害者の精神的苦痛には因果関係なし(加害者への複雑な感情、同性愛者であるという事実に向き合わなくてはならなくなったことが原因*1
3 アウティングには正当な理由があり、違法性なし(突然に恋愛感情を告白され、大きな衝撃。つらい精神状態。第3者に言ってはならない義務はない。)*2


【大学側の主張】

「法科大学院生は法的知識も人権意識もあるので大学側が改めて教育する必要はない」
・個人間の問題であり、大学が積極的に介入することではない
「アウティングによる結果ではなく、同性愛を苦にした自死」
・同性愛者の自殺率が高いという統計を引用し、それをスティグマ化して「だから自死したのだ、その原因はアウティングにはない」と主張(裁判を傍聴した有志支援者による証言)


【当時の加害者の思考と行動(南氏の証言と推測)】

・LINEを見るに、加害者がアウティングしたのは"あいつ悪いことしたよね?"とクラスのみんなに共感してもらいたかったからではないか。しかし実際は歯切れの悪く煮え切らない反応……。加害者学生のことも友人として責めきれないし……といったふう

(原氏の意見)加害者の考えとして、本来告白を断ったのだから被害者学生が加害者学生を避けるべきだったにもかかわらずそうならなかった。だから偏見の力を借り反撃しようとしたのでは

・加害者は教授に相談(アウティングとの前後関係は筆者には不明)
 「自分がいづらくなった。なんで自分が遠慮しなきゃならないのか。あいつがクラスから出ればいい」

(被害者の妹さんの証言)机をばんばん叩いたり、わざとぶつけてきたり

【当時被害者が相談した機関とそこでの対応】

(南氏)大学側は同性愛の問題ばかりで「あいつひどいよね」とは対応してくれなかった。

・ハラスメント相談室
 GIDに関する診察で有名なメンタルクリニックへの受診を勧める
 「ハラスメント」問題としてトラブルに介入しようとはせず、被害者本人の心の問題として処理する対応

・法科大学院
 教授「カミングアウトするのは君にとっても損になる。就職にも影響が出るから隠せ」

・保健センター

【事件後の大学側の対応】

・事件発生後教授会に報告はなかった

・ご家族が大学に聞き取りをしようと連絡したら、ご家族の希望日程を聞くなどはせず、「この3日間しか空いていないけれどこのうちから選んでください」と対応

・ご家族が弁護士へ相談。訪問の日に弁護士の同席を伝えたら大学側はキャンセル

・せめてクラスメイトなどに事情を聞きたいと要望するも「公務員の守秘義務がある。学生たちも司法試験をひかえており、クラスメイトも亡くなっている状態なので面会することはできない」と断られる

・これまで(事件後から2017年5月5日現在まで)一度も大学はご家族の家庭へ直接説明に向かっていない

 →裁判を起こすしかなかった(南氏)

・被害者の最後のクラスLINEメッセ(「おかしいんじゃないか<相手方学生名>が弁護士になるような法曹界なら,もう自分の理想はこの世界にはない」「これで最後にします」「いままでよくしてくれてありがとうございました」)をご遺族は知らなかった。被害者のパソコンにあった訴訟準備用と思われるフォルダに残っていなかったため

・法廷での大学側の、「最後にこういうメッセージを残したのだから同性愛を苦にした自死だ」という主張があるまで一年以上知らされていなかった

【大学側対応の問題点について登壇者の意見】

(鈴木氏)
 GID専門の「はりまメンタルクリニック」を勧めた。LGBTの内部の複雑性を知らず、LGBTという符号が一人歩きした結果。

(横山氏)
 キャンパス・ハラスメントの相談対応の第一目的は「安心して学生生活を送り、教育を受け、研究できる環境を取り戻すこと」。
 相談者の自己解決も図るが、重要になるのは加害者への注意・警告と当事者間に入って人間関係・就学環境の調整。相談者と加害者の引き離しが最も多い。
 救済には加害者への働きかけが必要。目的は相談者を励ますことでも事態に白黒つけることでもない。
 →今回被害者の相談は一貫してアウティングされたこと、人間関係がつらいこと。相談室対応は調整として引き離しが第一になるはずなのに、二ヶ月間離れられない状況のまま。ありえない。

【状況の問題点についての意見】

・環境面
 (木村氏)
 法学教育内に同性愛の人権は含まれない。法学教育は判例教育が中心であり、プライバシー権の判例は学ぶが、同性愛の判例は大々的には教わらないままである。
 ロースクールは司法試験のためあえて学生をストレスにさらす30~50人クラスの厳しい環境。いじめの温床になる小中学校の危険性は認知されているがロースクールがそうだとは認識されてない。
 「いじめ」の事件である。
 事件当日も出席必須の模擬裁判があった。抜けられない空間をつくることは危険。

・社会面(告白→断る、という単なる恋愛のもつれとして軽く扱われてしまう)
 (原氏)
 自分たちのとりまく世界の捉え方。ミクロレベル、社会レベル、制度レベルの三段階が実際あるのだが、ミクロレベルにしか捉えていないと恋愛のもつれとして扱ってしまう。だが同性愛はそうではない。「社会的に容認されているのか?」という問題。
 アウティングされると1VS世界全体のゲームになってしまう。世界が敵。フェアではない。ひとりでは勝てるはずがない。だから犠牲が出る。

 (鈴木氏)
 アウティングのショックだけでなく、被害者は、誰かにそれが悪いことだと言ってもらいたかったはず。

【会場内からの事前質問への応答】

「加害学生も同性から告白を受けて重荷を背負わされたと思うことについて、ほかにどうすればよかったのか?」という質問が多数。

(原氏)
・学生相談などを利用する。その際相談室側は被害者と加害者で別々の人が相談を受けるべき。
・アウティングの前にふたりでコミュニケーションを取る。
・「誰にも言わない」という秘密の守られるゾーニングされた場所で相談する。
・自分のいるコミュニティとは別のコミュニティで相談する。


【最後の登壇者コメント】

(原氏)
加害者側にも言い分があると言われるが、そう言われるうちは被害者の安全は確保されない。車の交通ルールと同じ。心理的安全確保の問題。

(横山氏)
相手側の聞き取りが大事。大学側も相談をたらい回しせず、対応を充実させるべきである。

(木村氏)
これは絶対に判例に載る重大事件。いじめの事件でもある。
学校という場は危険、離脱可能な空間をつくるべき。

(鈴木氏)
これは賠償問題に留まらず、政策形成型訴訟である。
制度を変えるため社会に波及していくべきなので、社会的関心が必須。皆さんにお願いしたい。




弁護士南氏自身も「自分も被害者のご家族も「自分たちは正しいのか?」と考えてしまうとおっしゃいました。「間違ってると思うわけではなく、自分たちがなにか突飛なことを言っているのでは?」と。
最後は、弁護士吉田氏の「裁判側が大学側のように捉えてしまうことのないよう弁護士として働く必要がある」という言葉で締めくくられました。

また、一審で敗訴したら控訴で長期化する可能性もあり、裁判所へのご遺族の交通費も負担になるのでカンパを募っていました。
カンパ

感想。
とにかく一橋大学側の隠蔽体質と対応がひどくてびっくりした……。
南氏の言う「自分たちがなにか突飛なことを言っているのでは?」という感覚、とてもわかる。わかってしまう。
「恋愛のもつれ」として扱われてしまうこと、ええ、この事件への反応でいやというほど見た。
私自身も個人的に同性愛を弾圧してくる社会に苦しんだ話をしたときに男女の恋愛と同様に扱われたり個人の問題として矮小化されたりしてきているので……。
個人ではなく社会の問題であると知らしめるための裁判、これが「政策形成型訴訟」の役割ですね。当事者と無関心者の温度差を埋めるための。
台湾で女性らしい言葉づかいでいじめを受けていた生徒の死による事件が社会的関心を集め今日の台湾の同性婚への盛り上がりにつながっていると鈴木教授がおっしゃっていたので、私もヘテロセクシズムに殺された犠牲者のひとりとして、関心を持ちつづけていこうと思う。

今回の記録はメモ起こしなのでなにか誤解等あるかもしれません。補足があれば申しつけください。


*1 加害者は自死の原因がアウティングではなく同性愛苦にあると主張。しかしながら、被害者は相談室や大学院教授に一貫してアウティングの被害を主張。家族には「親友に裏切られた」と説明。被害者は過去同性への告白・失恋経験があり、その後相手と良好な関係を築いていることから明白な因果関係がうかがえる
*2 加害者は「重荷を背負わされ、むしろ自分が被害者である。他に取りうる手段はなかった」と主張。しかし被害者にストーキング等の事実があったわけではなく、告白前と同じように接していたのみ

記録

異性愛社会が怖い(経過記録)

夢を見た。
父と父の友人が出てきた。二人とも私にとって安心できる存在だ。
しかし夢の中で二人は私を殺す計画を立てていた。正確には殺そうとしていたわけではなく、別の殺人計画を実行するために致し方なしに私を殺さねばならない状況になったのだ。
私は手にかけられそうになり、とてつもない恐怖を味わったがしかし、計画は頓挫し助かった。
それからは父も友人もいつも通り優しく接してくれた。
けれど私はあの恐怖が拭えずにいた。二人してまた私を殺そうとしてくるのではないか。なにかあったらすぐに私を殺せるだけの用意があるのではないか。
不信感が募り年月が過ぎた頃、私は二人の前で泣いてその恐怖をぶちまけた。怖かった、まだ怖い、と。
しかし二人は私の訴えにまるで無関心な様子で、号泣する私を何も言わず無表情にただ眺めていた。



そこで目が覚めた。

元カノの夢だと思った。
元カノが、私をその意図なく殺そうとして、私は恐怖に脅かされながらその後付き合いつづけていたのに、元カノはその重みをまるで理解しなかった。そういう夢だ。
私にとって「同性愛は存在してはいけなくて正しく異性と恋愛すべき」という、元カノのひいては社会権力の思想は、存在を殺されるに等しいことだったのだ。
夢の中での父=権力の象徴としてのマジョリティー社会、父の友人=それに服従する元カノと解釈できるだろうか、と思った。
昔元カノの目の前で発作的に狂乱したことがある。「異性と恋愛すべき」という差別規範によって私たちの関係が紛い物と思い込まれること、壊されること、屈すること、その終焉が怖くて怖くて何を発声してるかもわからずただ発狂したことがある。元カノは呆然と眺めていた。
これは元カノの夢だ。寝る前に『ユーリ!!! on ICE』の全話感想を泣きながらつづっていたので間違いない。

ユーリの7話で号泣したとき、私はもうだめだと自覚した。
最近この手のものに弱すぎる。
同性愛を肯定してくれる価値観に弱すぎる。
先日もBL漫画を読んでいてぼろっと泣いた。↓ただこれだけの台詞に。


可愛い先輩の飼い殺し方 
(『可愛い先輩の飼い殺し方』市梨きみ p161)

だって元カノは隠さなければならないと厳しく私と自己を律したのだ。
ただ「同性愛は異常だから」という一点の理由で。「ドン引きされるだけだから」。



二度と女を恋愛対象とすることができなくなり、せめてこの弱さを薄めるだけの安定がほしくて男と付き合うことにした。
少しは気が晴れるかなと思ったら今度は「社会の弾圧に屈した自分」が悔しくてのたうち回ることになった。それで書いたのが前回の記事だ。

私はもう存在するだけで社会への抵抗になってしまうような関係を構築することができない。抵抗できる余力は残っていない。好きと言われて「他に好きな男がいるって意味?」とか「友達としてってことなのかな?」とか「この関係いつまで続くのかな?」とか常に不安でいたくない。
しかし百合漫画を読んだらもう女を愛せない自分が悲しくなって泣きそうになった。
王道恋愛少女漫画を読んだら異性愛のあまりのマジョリティー特権ぶりに打ちのめされた。
だめだ。 

「同性への友情と恋愛感情があやふやになる思春期に同性と親密すぎる関係になって、成長したら勘違いの関係を終了させ健全に本番の異性愛を迎える」
私の戦いがこの呪いに回収されてしまうことが悔しくてならなかった。
私は女が好きなのに。女を好きでいたかったのに。ヘテロセクシズムのせいでホモフォビアのせいでお前らがファッションレズとか勝手に認定してくるせいであんまり同性愛を無化しようと弾圧してくるせいでなんで私がそんな強者に都合のいいクソみたいな呪いをかけられなきゃならないんだ。


セクマイ系が多めの飲みに行ったら、「えっゲイなんだ? タチ? ネコ?」「女装しても本物の女には勝負で勝てないよね」と言い募る人がいた。

接客業の職場で、かわいくて気遣いやさんで始終笑顔の気持ちいい女性客がいるなーと目の保養にしてたら、その人が連れとの会話の中で成宮寛貴氏のことをネタにした。

「ゲイの友達ひとりはほしいですよね~」と悪意なく発言する人の声が聞こえた。

とらのあながカテゴリー分けに「BL・百合」の他に「ホモ・レズ」という表記を使った。
企業が公然とそれをすることの意味を丁寧に説明した抗議メールを送ったら「差別用語だとわかっていてもその検索ワードを使う人が多いので商業上の理由でやめない」(意訳)と返信がきた。倫理ってなんだろうな。


すべてここ3ヶ月の出来事だ。
そんな社会に私は住んでる。
絶望するまでもない。とうの昔に痛みは麻痺した。ただこの社会は私の理想にほど遠い、そういう事実があるだけだ。




元カノのことが完膚なきまでにトラウマであると判明してから、友人数人にそれを打ち明けた。
「男女であるべきでしょ」と吐き捨てられたことが今も深い傷を残してるんだよね。同性愛は存在しないと思い込まれていたんだよね。訥々とそういう話をした。

しかし、なんだか今ひとつ伝わってないな、と感じることが多かった。私のこの傷が、そっくりそのままの重さで共有されてないな、「紛い物ですよ」のくだりを話すべきだったか?、なんだろうな。
例えば「それはさ、たとえ男女の恋愛だったとしてもひどいよね」と言われたり。
例えば「新しい恋愛をすればそっちで発生する不安にかかりつけることでそのトラウマはなくなるんじゃない?」と言われたり。
「えーっ、そこで異性愛が憎いとまで思っちゃうの?」「あー、なんでもそこ(異性愛規範への恐怖)に帰結しちゃうんだね」と言われたり。私がとてもひどい事例だと思って話してるのにいまいち反応が薄かったり。
それは話し相手本人がセクマイである場合でもマイノリティー差別に関心が高い人の場合でも同様で、なんで伝わらないんだろうと不思議だった。

5人めに「やっぱり伝わってないなあ」と首をひねったとき、やっと腹から理解した。
同性愛が社会に無化されるヘテロセクシズムの恐怖の手触りは、言葉を尽くしただけでは基本的に「わかってもらえない」。
「男女であるべきでしょ」の呪いも「所詮紛い物ですよ」の呪縛も「友達として好きだよ」の煮え湯も全部、日々社会権力がどれほど同性愛を殺そうとしてくるかリアルな恐怖として実感しなければわからない。これらの言葉に込められた意味やその背景は、文字面だけでは伝わらない。

元カノが勝手に個人的に同性愛がおかしいと思い込んだわけじゃない。
社会が丁寧に「同性愛は存在しない紛い物だ」「異性愛をしなければならない」「マジョリティーが絶対的に正しい」と彼女に刷り込んだから、その社会の末端で私と彼女の恋愛はまさに殺されんとしていたのだ。父たる社会の権力に。



「不快な思い」とは何か 日本マクドナルドの対応から考えるメディアと差別の関係

http://mess-y.com/archives/38917

>メディアのコンテンツが度々批判を浴びるのは、単にそのコンテンツ自体が不快であるとか、それを見て傷つく人がいるとか、そういう理由ではない。メディアが差別のシステムの重要な役割を担っているからなのだ。

マサキチトセさんのこの言葉は実に明快で慧眼。
元カノを洗脳し、女が好きである私を殺し、私たちを束縛し苦しめた差別思想は、例えばこういう形で社会に日々精力的にばらまかれつづけている。今も。

私の恐怖は個人の問題に還元されない。社会が同性愛を否定しなければ私たちの恋愛も問題なく運営されていたはずだ。
だから社会が怖くて憎い。お前のせいだ。お前さえいなければ。
高校生の頃、私の理想の別れ方は「大学に入って互いの生活のすれ違い」だった。ありふれた恋愛のありふれた終わりを迎えるそれだけが望みだった。何度も言うけど異性愛をすべきだからという別れだけはなんとしても拒絶したかった。
それを個人の問題として矮小化されたり男女の恋愛と同様のものだと扱われたりするのは、この恐怖を知らないからなのだ。絶望するまでもなく歪んだ社会が機能している恐怖を実感していないからなのだ。


わからないでしょう、恋愛の話でもないときに友人相手に財布ほしいなーと他愛ない話をしたら「彼氏に買ってもらえば?」と返されたときの恐怖なんかわからないでしょう。
異性同士が恋愛をして当然とされ、同性同士に恋愛がなくて当然とされ、異性と恋人関係になった途端異性愛ロールに回収され単なる「男と女」の記号と認識され、私個人がほしいと言った財布すら「女が男に買ってもらう」なんて規範の内部に取り込まれ、たちまち規範にそぐわない「女を恋愛対象にする女」である私が削ぎ落とされる、この恐怖なんか。
社会がどれだけ異性愛規範を基準に動いて同性愛を排除するか。私がどれだけ女を愛したか。愛していながらどんな思いで殺され敗戦し逃げて諦めたか。
わかんないよね。



悔しいんだよ。
私は男になんか回収されたくないんだよ。

パートナー氏は、女がよかった女が好きだ異性愛が憎いマジョリティーが憎いと喚く私を受け入れてくれる。好きなだけ吐き出してくれと言ってくれる。
「なんでこんな簡単なことが、できなくて、許されなくて、隠さなければいけなかったんだろう」という話を、勝手なものさしで測ることなく、ただ聞いてくれる。「自分がいるせいであなたの感情に枷をかけてしまうことが自分にとってはいちばん悲しい」と。


パートナー氏とクリスマスイブに東京の街を転々と歩き回ってきた。

私はずっと可視化されたくて、いないことにされたくなくて、思考タイムラグなく疑う余地なく世界に認識されたくて、戦ってなどいたくなくて、だからマジョリティーになりたいと思って24日に会う約束をした。

だけど見渡せばそこかしこに湧き出てくる異性カップル。見える背中の数々はマジョリティーの強者性など頭の隅にも浮かべたことのないように堂々としている。

中身はそうではないのかもしれない。異性愛に見えてもMtXとパンセクカップルなのかもしれない。けれどそんなこと外見からではわからないだからマジョリティー様だと思い込んでしまう。私もその風景のひとつを飾っているのだと思うと耐えられなくて自分のプレイしてる「男女カップル」像をなるべく思考から追いやった。

その風景の中に仲よさげな(恐らく)男性二人を見つけた。カップルだったらいいなと思った。それも私の勝手な押し付けでしかない。自分の嫌なレッテル貼りを彼らにしているだけだ。でもこの異性愛地獄の中、存在するだけで社会への抵抗になってしまう関係をプレイしてたら私が救われる。手を繋ぎたいのに繋げていないのだとしたら悲しい。じろじろと不躾な視線を彼らに与えてしまうのだけは嫌で不自然にならないように目を逸らした。



削られることが怖かった。
女を好きでありたかった私が強大な「異性愛」の洪水に巻き込まれ足元を奪われることが怖かった。
私がマジョリティー特権を得てしまうと戦っていた私に申し訳が立たなくて後ろめたくなった。
私を削ってこない人がパートナーとして隣にいてくれるのがありがたくて、少しだけ落ち着いた。

削られたくない。削られた自分が可視化されてもなんの意味もない。もう二度とマジョリティーになりたいなんて言わないと誓った。


パートナーを作れると思ったのは、精神安定がほしくて、そのための信頼関係構築コストなら割けると思ったからだ。
付き合ってから次に会った日にパートナー契約内容確認会議をした。
まずモノアモリー関係だよね? という確認から。
浮気の定義を話し合うのは楽しかった。浮気相手像の性別如何で定義が変わったりしないことがありがたかった。まあ男となんか浮気したいとも思わないけど。


会議をしながら、「なんか『逃げるは恥だが役に立つ』みたいだな」と思ってた。
ドラマ版はまだ見てないけど、私が持ってる原作はセクマイ系のオフ会のくじ引きで貰ったものだった。連載初期から漫画読みのセクマイ界隈では話題だったね。
振り返ると「恋愛」という暗黙ルールに制約されるゲームで改めて契約内容確認会議をしようと思ったのは『逃げ恥』と『逃げ恥』を生み出した社会の空気を参考にしたからかもしれない。
私は、私たちは、どうしても社会の一員であり、意識的無意識的に社会の影響を受けて生きている。


私は女との「恋愛」を諦めたから男との「結婚」を見据えたとかそういうことではない。
そもそも結婚を視野に入れることのできるマジョリティー特権が今は憎くて仕方ない。

元カノを振ったとき「私はいつまでも私と付き合い続ける意思のない人と一緒にいてこれからいくつの出会いを無下にするんだろうって思ってた」と言ったら、「既にしてるよね……」と返されて、何百度めかの失望をした。
きみは女が男と付き合うべきだと思い込んでるから、私が男を拒んだことを「出会いの損失」としか呼べないんだろう。私は彼らに惹かれてるなどとは一言も言ってないのに。何度もきみを好きだと言ってきたのに。応えてくれるなら別れたくなんかなかったのに。
「じゃあ今度付き合う人は結婚前提ってこと?」と言われて、私の次の相手が男だと微塵も疑ってないのだなと思った。
私の言った「付き合い続ける」って一生を預けあう合意形成でもなければ公的行政契約関係でもない。今とここだけの刹那的関係だとおざなりに扱われないことだよ。
いっこも伝わらなかったな。

恋愛は諦めてない。というか元々単なる趣味のひとつだ。
ただ、社会に殺される心配のない恋愛というものにどう向き合っていいかわからない。私は敗者になってしまったから。
私がこの恋愛を趣味として謳歌するだけで社会への屈服を実感させられることになる。自分への後ろめたさが増幅する。あんなに戦ってきたのにね。悔しさを忘れたくないのにね。私は難なく異性愛を楽しんでしまえるんだね。
「女は遊びだから☆」「親に孫の顔見せたいから……」「いちいち会社や人に説明するのが社会的に命がけで面倒だから」「結婚して社会的ステータスを得たいから」「かわいそうな独身という視線にさらされるのが耐えられないから」「福利厚生の恩恵に与れないから」、異性愛をしろと世間が言うからという理由で別れる可能性を考えなくていい異性愛の圧倒的強者ぶりを前に呆然とする。


また別の夢を見た。今度は直接的でわかりやすい。
小学校の昇降口だった。そこでは下駄箱を挟んだ両側に出口が設けられており、一方の出口に見知らぬ好みの美少女が、もう一方に10年ほど前付き合っていた彼氏が座っていた。
私は少女に強く惹かれて声をかけたいと思うのだが、躊躇しているうちに少女はさっさと外へ去ってしまった。眩しい日差しにきらめく少女を私は未練がましく見送るのだった。
元彼は「強く恋しく思ったことのある男」という意味合いでたまに夢に出てくる。そんな男の存在を思い出すには10年も遡らなければならない。その間に惹かれた女は4、5人いる。夢に彼を引っ張り出さなきゃならなかったのは、自分好みの男など作り上げることもできないほど男に興味がないからだろう。
そして夢の中で彼に振り返って、そちらに行こうと思ったけれど、迷って立ち竦んだまま目が覚めた。

私は女を追いかけない。追いかけられない。彼女たちは去ってしまった。
もうひとつの出口はある。私は男の手を取れる。きっとただ迷ってるだけ。所詮はお前も異性愛を選ぶんじゃないかと自責の念が重たいだけ。私は負けた私を正しく弔う方法をまだ知らないだけだ。
そういえば中学3年生のとき「高校入ったら彼女がほしいなあ」と思っていたら、夢の中でとびきりかわいい彼女ができたことがあったな。花岡さんという人で、まあ高校の新入生名簿貰って真っ先に調べたもののそんな名前の人ついぞ会わなかったけど、社会や男に目もくれず私のことだけ見ていてくれる、髪が長くて背の小さな愛しい女の子だった。

もう少しだけ悲しませてほしい。限りなくいとおしかった彼女たちの後ろ姿をぼんやり眺めて感傷させてほしい。いつか立ち直れるから、立ち直れてしまう自分を社会への屈服と捉えることを許してほしい。

今は戦っていた自分への未練を思って事あるごとにあふれる涙に安堵している。
悔しさだけ残して後ろめたさを忘れる方法が知りたい。

記録

彼氏ができました(追悼文)

男を選んだ自分を納得させるために、「まあ人生のなかで一回くらい女と付き合ってみるのもいい経験だったよ」と、思いかけたところで悔しさに過呼吸を起こした。
所詮女同士は一過性なんだよ!!私はもう二度と女を選べないんだよ!!女だからな!!!!
悔しい。悔しい。開けた女になんかなってやらない。負けた自分が悔しい。屈した自分が悔しい。
男なら誰でもよかったわけではもちろんない。いくつかの理由のうちのひとつでしかない。でももし彼が女だったら絶対選んでない。
同性愛なんてつらい。もうあんな思いは絶対したくない。できない。社会の抑圧に対する無力感を全身で感じながら「女同士が一過性だなんていうヘテロセクシズム、ミソジニー、ふざけんじゃねえ私が証明してやる!!」とかなんとか折れないように立っていたくない。

少し蓋を開けただけでトラウマが甦ったのだ。
私は別れの理由が「女だから。閉塞たる思春期の高校生活が終わったから」になることが怖かった。社会に屈することが一番怖かった。
女子校じゃなくて共学の中の恋愛だったから。男から好かれようが私が好きなのは彼女だからと女を選択しつづけたから。その事実に安堵していた。"それでも"私は女を選んだから。私は機会的ではない、女を選びたかったから選んだのだと。思春期一過性、そんなちゃちな一時の感情と無化されることに耐えられなかった。
戦っていたんだ。私の矜持だった。彼女がどんなに女同士に恋愛があるわけないと思い込んでいても、ちがうね思い込んでいたからこそいっそう、私は一人で戦っていた。

敗北しました。
マジョリティーになりたかったです。憧れでした。戦わなくても容易に可視化される世界に生きたかったの。一緒にいるだけですぐに恋人だと想定してもらえる世界に生きたかったの。
悔しい。今やっと、心から、敗北した事実を認めます。
ごめんね。さよならね。戦っていた自分さよなら。ごめん。本当にごめん。



上記、コピペ。
負けたから、負けたなりに、私の戦いを悼んでおこうと思う。
久しぶりに私生活のたぐいをブログに書きます……。考察ブログ分けといてよかった。でもこのへんの話は当時ほとんど書いてなかったんだよなあ。なんでだろうと思ったけどこんなにつらかったことに気づいたのもここ1年のことですしね……。



戦っていた私へ。謹んでお悔やみ申し上げます。

二年半付き合った高校時代の彼女はホモフォビアを骨の髄まで内面化した人間だった。
マジョリティー=正しい、マイノリティーは問答無用で間違っている。そう思い込んでいた。
そんな私たちの恋愛は得体の知れない「世間」に、「男」に、ずっと縛られていた。

異性愛が正しい。同性間に恋愛なんてあるわけない。だから私たちの関係は恋愛ではない。自分の持つのは恋愛感情ではない。
彼女はずっとそう思っていたのだ。


ある日私が男に好意のアピールを受けた。
それに気づいて彼女に恐る恐る報告したら、席を立たれた。すぐに電話がきた。


「男にモテたいー羨ましいー」
「今? 恋愛してないよ」
「(男女以外のものは)恋愛じゃない」
「友達として、好きだよ」
「逆になんで女にも恋愛できるの?」
「いや重要でしょ、男と女であるべきでしょ」
「(私のこと好きって、付き合うって何度も言ったじゃん)いやうちはずっと友達としてとしか言ってないし」
「(私への気持ちは恋愛感情じゃなかったの?)それが今もわかんないんだよね……まあ、紛い物ですよ」
「とにかく、もううちへの愛情はいらないから。そういう目向けないで」
「友達に戻ろう」
「人に言えないじゃん、何も」
「はあ? お前バカ? 言えるわけないじゃん。そんなことしたら終わる。今まじで呆れた」


翌日登校したら、「ごめん、昨日の忘れて! ずっと考えてたことが爆発しちゃっただけだから」とかるーく流されて、終わった。
私は彼女が「ごめん」とか言えるんだ、と思ってびっくりしてたら怒れないまま感情の置き所がわからなくなってしまった。
なにも言えないままその後一年以上付き合い続けた。



彼女に、それは内面化ホモフォビアでしかないと、そこにいても苦しいだけだと、異性愛至上主義なんて私は大嫌いだと、言い続けていた。
けれど彼女にとって正しいのはマジョリティーのみなので、マイノリティーに過ぎない私の意見はすべて取るに足らない戯れ言なのだった。だから彼女もひとりで悩み続けた。私の介入する隙は一切なかった。
私はその男に対して、「彼女の目があるところでアプローチや告白の呼び出し等してきませんように」とばかり思っていた。
告白されてからは彼女にタイミングを慎重にはかってはっきり報告したのに数ヶ月後「(別の友人)からさっき初めて聞いたよ。どれだけショックだったかわかる?」と言われて脱力した。


私のことを好きだという男が、彼女に恋愛相談をしたこともあった。

私からしたら急に彼女に無視されはじめて、嫌われたのかと落ち込んでたらなぜか慰めてくる男が現れたなって感じだった。
あとから判明したことに、彼女が男の告白をお膳立てするためにセッティングしたのだそうだ。

「○○くん、(男だからお前と付き合えるはずなのに)かわいそうだなって……」

私の気持ちは丸無視か? きみを好きだって言って他の人になびく気もない私の気持ちはかわいそうじゃないのか?
そんなにも同性愛は蔑ろにされるべきものなのか?
それからしばらく経って、私を無視していたその間彼女が知らないところで泣いていたことを知った。



付き合ってから三ヶ月経ったくらいに、「他に好きな男子がいる」と告白されたこともあった。
でもその後別に特になにかがあるわけでもなく、たぶんこれも「異性と恋愛すべき」だと思ってたからだろうなあ。

自分に子供ができたらという話をナチュラルにしてきたと思えば私が子供の話をすると黙りこんで不機嫌になる。
「ビアンカップルで子供育ててる人もいるよ?」とか切り出せば「は? 無理でしょ」って席立って帰る。
その手の話は地雷になった。

「友達としか思えない」と言われ二度ほど振られたけどこれは前述どおり同性間に恋愛がないと思い込んでいたための葛藤でしかなく、時間が経てば謝罪も契約回復の言葉もなしに復縁。

そんなことがあるたびに大騒ぎで振り回され理不尽なヘテロノーマティビティーに付き合わされなくちゃいけない。
事を荒立てて彼女の機嫌を損ねたくなかったので私は怒れずになんでも許した。
セクシャリティ関連でなくても揉め事は多発してたけど、喧嘩をしようとしても彼女はただ不機嫌になって黙したままか凝り固まった自分の言い分のみ当たり散らすかどちらかで私の話に耳を貸した試しがなく譲歩案はすべて棄却され、建設的な話し合いができたことは一度もなかった。



親が大事。世間が大事。いつか蜜月は去ってしまう。
思春期一過性(笑)恋愛と友情の混同(笑)儚いからこそ美しい百合(笑)
そんな異性愛規範に決めつけられたくない。私だって悩んでこれは生来の指向だとアイデンティティ確立してきたのに。彼女だってどう見ても私に恋をしていたのに。
彼女はずっと自分をヘテロ自認だと言い張ってきたけど別れてから「実は前からバイだった」とのたまった。私の不安はなんだったのか。

彼女のことは好きかつ嫌いだった。好きでも別に嫌いだって大きくていいでしょうと思って、私は私の好きにのみ執着した。
上にも書いたけど、私が一番怖かったのは「女は男と付き合うべきで、異性愛は同性愛よりも重きを置くべきなので、男と付き合うことにしました、(あるいは)男と付き合ってください、別れよう」と結論づけられること。
私たちの恋に一微たりとも関係のない、社会のヘテロセクシズムの弾圧によって、私たちが壊されてしまうこと。

ヘテロセクシズムに絶対屈服したくなかった。異性愛を同性愛よりも優れていて正しくてあるべきものだなんて認めたくなかった。認めている彼女のことが許せなかった。
バイであることはゲイに疎まれる理由でしかないと思ってた。


外では手も繋げなかった。少しでも触れれば勢いよく振り払われた。
二人だけで一緒にいたいと思ったときも、友達同士だとしか思われてないので、他の女の子たちが次々に周囲に集まってきた。
可視化されない。いないことにされてる。いないことにしてる。

私だって友達に彼女との関係を言いたかったよ。受け入れてくれそうな友達だってたくさんいたよ。
それでも彼女は引かれるだけだと言っていた。なんで信じてくれないの。

「彼氏いる?」って言われて「彼氏"は"いないよ!」って返したり。
彼女とばかやって他の友達から「カップルか!w」ってからかわれて、彼女が「いやいや違うよー」と否定するなか私は絶対に否定するものかと曖昧に笑ったり。
それだけが私の精一杯の抵抗だった。
ただのネタ的なからかいなのに彼女はいちいち本気まじりで否定するからそのたび私の苛立ちは蓄積していく。



高校の違う親友にカムしたとき、「彼女できたのかー! 彼氏じゃなくてよかった。彼氏だったら取られたーって思っちゃう」と言われた。 その後「結婚するなら相手どんな男がいいかなー! スピーチするね!」って執拗に言われつづけたこともある。
あとで聞いた。他意はなかったらしい。でしょうね。

バイト先の同僚には「彼氏がいる」という体で話をしてきた。
でもある日話に無理が出て、加えて私自身可視化されたかったので、カミングアウトした。静かにドン引きされた。

友達に「同性愛者? 日本にもいるの?! 無理無理無理!!!」って目の前で言われたこともあったな。その子はテレビの中にいる、男と見るやスキンシップを試みるゲイキャラ芸人が好きだった。

好きになりかけた女の子に真顔で「同性愛って気持ち悪いよね」って言われたこともある。私は「自分に関係なければいいんじゃない?」と返した。自傷だ。

男の子が、目の前にいる私たちが同性カップルだと想像だにせず、「○○、あいつホモだよ。気持ち悪い」と嫌悪をあらわにしたこともある。

男の子が、ネタ的に(本当は違うのはわかってるよ、と留保つきで)ゲイ扱いされて笑われてたこともある。その子は否定も肯定もせず曖昧に笑ってた。ゲイだったのかもしれない。そうじゃないかもしれない。

保健の教科書には「思春期になると異性に惹かれはじめる」とか「母体にストレスがかかることによりゲイが産まれる」とか書かれていた。

保健の授業ではゲイのAIDSを教師がネタにした。

全国模試の現代文で「同性婚推進者って革命家のつもりかもしんないけどもうちょっと頭使って考えなおせwwwwww」って内容を強制的に読まされ問題解かされた。
理屈で山程反論したかったのにそれができない。理屈を持たない周囲の受験者は価値観刷り込まれてしまう。同性愛で悩んでる人ならどれだけ絶望するだろう。その屈辱。

まとめサイトやヤフコメのホモフォビア剥き出しの書き込みをわざわざ自分から漁りにいってた。
「私の周りの人たちは優しいように見えるけど、本当は偏見も持ってるし差別してるはず、みんなの"ホンネ"に刮目しなければ、普段から慣れておかなければ、いつか急なショックでつぶれてしまう」と思ってた。



そういう社会で同性と恋愛していた。
彼女は味方ではなかった。私は孤独に戦っていた。
高校卒業と同時期に、「きみのモラハラに疲れた」と私から振った。
別れに男が絡んでこなくて心底安堵した。

次は穏やかな恋愛がしたいと思った。
二人くらい男の子から声をかけられて、特に恋愛感情は湧いてこなかったけど、そういう感じになった。
別にこのときは「ヘテロセクシズムに屈服した」だなんて思わなかった。ただの恋愛だ。泣きたくなるほど平凡な。

その後全然関係ないことで私が大学行けなくなって恋愛どころではなくなり、男の子とも疎遠になった。
それからここ数年は自分のことで手がいっぱいで、セクマイに関心は持ちつつ差別に反発しつつ元カノのことはあまり考えなくなった。
ただ、漫画やアニメを見ていて、同性同士の絆のなかに異性が乱入すると心が掻き乱れ、異性を踏み台にして同性同士がくっつく展開になると滂沱の涙が溢れて癒しを感じるようになった。
なんでこんなに? って自分に引いてた。


やっと自分のことが一段落して落ち着いた頃、言い寄ってきた男を好きになれないなと思って振った。
ほどなくバイの女の子に惹かれた。少し恋愛感情に手を出してみる。久しぶりの感覚に、高揚を覚えたのも束の間。

「抑圧」「世間」「男」「親」「子供」「将来」「嫉妬」「すれ違い」

無理だ!!!!!

びっくりした縛られていたことにびっくりした。心の襞にびしばし触れる。掻き乱される。この恋愛感情を他人に預けると死ぬ。また男の存在とか将来の不確かさとかそういうものに振り回される。
手を繋いでも恋人と思われないかもしれない。親に結婚の話をされながらカムできないままかもしれない。ヘテロセクシズムと戦い続けなければならなくなる。死ぬ。
その子がホモフォビアを内面化していないことは知っていた。元カノほどひどい人間はそういないともわかっていた。でも元カノが社会が私に残した傷は深かった。
そんなものに抗えるスタミナはもう残ってない。ただでさえ恋愛は疲れる。



だから男を選んだ。
人前で手を繋ぎたかった。可視化されたかった。いないことにされたくなかった。戦わずして波にのまれたかった。
違う、それだけの理由で選んだわけではない、私は雑念的感情に振り回されて言いたいことを言えなくなる恋愛よりも人として信頼できる人と契約するパートナーシップがほしかった、この人ならそれが手に入ると思った、だから選んだ。
その彼氏っていうのが10年友達やってきたひとなのもひとつのトピックなんですが。


別に恋愛感情から始まらないパートナーシップそのものが悪いと思ってるわけではない。
いずれ恋愛感情になれるだろうともわかってる。感情を偽って自分を押し殺しているわけでもない。

それでも、私は私にがっかりした。
「結局バイは男に逃げる」
「あれだけ安易な異性愛を批判し難儀な同性愛に執着しといててめえも所詮は異性かよ」
そんな声が聞こえる。
単に言い寄ってきた男に流されるならここまで複雑な気持ちにはならなかったはずだ。
好意を示してきた男を振って、恋愛感情を持てる女にいこうとしたけど踏み込むのをやめ、恋愛感情なく人としてのみ好きだった男に自分から契約を迫り異性愛を選択した。
これが私を後ろ暗くさせた。



今私が男と付き合ったら「そうだよ! どうせ異性愛様なんだよ!!^^」って同性愛に砂をかけたい邪悪な気持ちが心を支配するんだと思ってた。
でも違った。
悔しい。今は悔しい。負けてしまった。戦っていた私は死んでしまった。
女と恋愛することから逃げた。私は男に逃げた。異性愛というマジョリティー特権を手に入れた。
悔しい。
元カノに問いたい。これで満足ですか。あなたが懇切丁寧に同性愛を否定し異性愛を推し勧めたおかげで私は男を選んだよ。あなたの理想どおりマジョリティー様に迎合したよ。今何してますか。知りたくもない。

この先二度と女となんか恋愛するまい。もうあんな思いはしたくない。心に誓う。
今書いたのは全部、私の戦いへの弔文です。
健闘しました。負けました。だから私を弔いましょう。

せめてこれで終わらない。私はこれからも負けつづけ打ちのめされて、負けた自分を抱えつづけていきましょう。かつて女を愛した私を懐古に包んで美化しません。良い経験だったなんて口が裂けても言うものか。女同士は男に愛されるための一過性の練習台だと言う奴は殺してやる。
私は女が好きな女である。削り取られたくない。私は断じて異性愛者じゃない。男よりも女のほうが好きだ。無性や不定性の人を性別に当てはめず好きになることができないだろうポリセクシャルだ。
忘れたくない。私の恋心を、ただ女として女を好きでいたかっただけの心を、もし戦う必要がなかったら女と寄り添っていたかもしれない私という存在を、マジョリティー色に塗り潰されたくない。
私の戦いへの、せめてもの慰めです。
プロフィール

ねぎ

Author:ねぎ
個人in社会

検索フォーム

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。