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記録

私の「恋人」の定義、「恋愛感情」の定義、友達と恋人の相違

私パートナー氏のことめっちゃ好きなんですよ。
こんなに好きになると思ってなかった。びっくり。
なにより私の感情をとても大事にしてくれて私はいつもつい自分の感情を後回しにして相手がどう思うかに合わせて謝ったり「大したことじゃないんだけど」と断りを入れたりしてしまうんだけど氏は必ず「大したことなくないでしょ」って私の感情を見つけてくれる。
私はやっぱり女を好きになれなくなったことが今でも悲しくて泣くたび悲しみが生々しく感じられて安堵しながらそれでも泣くんだけど「私があなたを好きになればなるほど女を好きな私はどこにいっちゃうんだろう……」と吐露したら間髪いれず「俺は覚えてるよ」って言ってくれて本当に嬉しかった。どこにもいかない。(いま変換したら「かんはついレズ」になって笑った)
なんかほんとに好きなの。






その一方で元カノのことがいまでも好きなんだと日増しに思い出していく。

前回までの記事を書いたときはまだまだ彼女への恨みが大きかったんだけど私が根本的に恨んでるのは元カノじゃなくて社会です。
前回の記事を人に読んでもらったときにしばしば「一人厄介な女に当たっただけでしょう、なにも女すべてを諦めなくても」と言われるんだけど、私は元カノが厄介な女だったから諦めたんじゃなくて、元カノを通して同性愛を殺してくる社会の大きさを知ってしまったから諦めたので、これ以上太刀打ちする気力はないんですよ。社会に。(今現在の"LGBT"という単語が浸透して地方自治体から社会を変えようとしてる人たちがいる日本社会でも全然足りない、全然息はできない)

それでパートナー氏が私の悔しさも悲しさも全部受けとめてくれたから私はちゃんと元カノへの恨みと社会への恨みを切り分けることができて、そしたら元カノへの恨みは急速にたち消えていって残ったのは彼女が好きだという気持ちだけだった。

彼女は私の感情なんかひとつも大事にしてくれなかった。
私が不機嫌になるとどうしてそうなっているのかには思いも馳せず私が不機嫌になったことに対して「自分を蔑ろにしている」と思って不機嫌になった。私がつねに優しく笑っていなければ離れていってしまった。
でも好き。

「○○だから好き」よりも「○○だけど好き」のほうがホンモノだなんてロマンティシズムには与さない。私の恋愛にロマンは必要ない。
瞬間風速力で比較すれば圧倒的に元カノへの想いのほうがパートナー氏へのそれより深く重く大きかったけど、いまは、一度好きになった人への執着を断てないだけだ。あんなにも深く好きになって好きあってお互い依存しあった人に対して感情が消化不良なままだから忘れられないだけ。

会いたい。何年も会ってないのに一度会いたいと思ったら離れなくなった。




前置きが長くなったけどそれをパートナー氏に相談してたら私の恋愛観が完全にはっきりしたので記しておきます。





自分の今までの恋愛傾向として好きになったら付き合わなきゃ気がすまなかったんですよ。
付き合わない恋愛は意味がないので、その人は私のことまったく好きじゃないんだな、あるいは他の人のことが好きなんだなと確信を持ったら冷める。友達として付き合うかどうかは関係次第。

それはモノアモリー観を内面化していたときだったので、ポリアモリーを理解してからは「恋人が私と他の人どちらも同じくらい好きだと信頼を持てたら私は冷めなくなる可能性がある、かもしれない」と思うようになった。


「友達と恋人の違いがわからない、どう違うの?」という悩みや疑問を聞くたびに全然理解できなかった。その人たちの疑問はともかく自分事としてその感覚がまったくない。
友達は自分のなかで友達カテゴリーに入れた人のことだし恋人は恋人カテゴリーに入れた人のことだ。


それと私にとってセックスは大きな意味を持たない。
無駄に意味づけする価値観が嫌いだ。したいならする。したくないならしない。シンプル。
ハグしたいって欲望があってその延長線上にキスしたいセックスしたいって欲望が生まれて環境がそろえばする。


そんなだから、私は元カノのことが好きで、会いたくて、たぶん会ったら触れたくなるし、セックスしたくなるんだろうって確信がある。
でも絶対よりは戻したくない。もう二度と恋人関係を育みたくない。トラウマだからだ。






って感じのことまでは今までもわかってたんですけど。
パートナー氏と色々話したら煮詰まった気がする。

前提として、今までも何度か浮気の定義についてすりあわせを行っていて、とりあえずすぐに許可されたのは「風俗は行っていいけど友人知人とはヤっちゃだめ」だった。
「風俗は性欲を発散するって目的とサービスだからいい。でも知ってる人となら、そこに恋愛感情が発生する可能性がある、ていうか、なんで友達とヤる必要があるの? するってことはそこになんらかの情があるってことでは? って俺が疑ってしまう」

とりあえずそうか、と納得した。




でも今回、友人知人とヤったところで私は恋愛感情にならない確信があるので浮気の定義を見直しましょう、あと元カノと会いたいし好きって言いたいしあの頃なにを考えてたかって話をしたいしヤりたいけどあなたの信頼を裏切ることはしたくないという話をした。


「というわけで、私にとってセックスって大した意味はないから今まで友達とヤらなかったのは偶然でしかなくもしヤってたとしても友達に対する感情は今と変わらなかったと思う」

「そっか、それなら風俗に限定しなくてもいいよ」

「では元カノに関しては?」

「会ったらいいんじゃない」

「いいの? 会ったらヤりたくなっちゃうと思うけど」

「よりを戻す気はないんでしょ? じゃあ会えば?」


まではスムーズだった。

「高校時代私の願いは『彼女とずっと一緒にいること』だった。でもずっと一緒にはいられないんだろうなって諦めてからは『ずっと両想いでいること』になった。今でもきっとそうなんだと思う。
だから元カノがもう私のこと好きじゃなくなってたら私はショックを受けるし、仮に会って、仮に私には今付き合ってる人がいると伝えた上でセックスして、それで「友達になろう」って言われたら私はそれを「ずっと両想いでいようね」という愛の告白として受け取るので迷うと思う。それでも会っていいの?」

「いいよ。友達でしょ? でもその後そういう行為が複数回に及ぶのはダメ。そしたら恋愛と見分けがつかなくなるから」

「なぜ?」

「一回めはさっき言ってたように気持ちの区切りとかそういう意味が含まれるってわかるけど、複数回となるとそれはそれだけの感情があるってことじゃん。それは恋愛にしか見えない。好きで、複数回セックスをして、それを恋愛と呼ばない根拠はなに?」

「逆にそれを恋愛と呼ぶ根拠はなに?」

「うーん……。でも複数回する根拠は恋愛感情でしょ。好きだからするんでしょ」

「会いたい根拠も友達になる根拠も好きだからだよ。好きじゃなかったら会いたくならない。それは許してくれるのに行為があるかないかの違いで切り分けるのはなぜ?」

「……。"友達でいよう"はセーブがあるじゃん。セックスがあったらもうそれは恋愛にしか思えない」

「気持ちに禁欲があればいいの? 私は元カノと恋人的なコミュニケーションがしたいから友達になりたくて、そこにセックスが存在するかどうかは特に重要じゃないけど、それでも?」

「うーん」


ここでパートナー氏の認識を表におこした。

画像


「性行為あり(複数回)、恋愛感情あり」が論点である。


「俺には恋愛にしか見えないけどこれを恋人じゃなかったらなんて呼ぶの?」

「……うーん、なにとも呼びたくない」

「恋人ってなに?」

「"恋人"と認識した人」




二時間ほど話して時間切れ、帰宅。

別れてからなんだろうなあと反芻して、やっと、私のなかで「恋人」「恋愛感情」「友達」の定義が定まった。



恋人は、自分の人生全部を抱えてダイブしていい相手のことだ。


これで全部繋がる。

付き合ってくれないとわかった相手にすぐ冷めるのは、私のことを受け入れてくれない人にはダイブできないから。
恋人と友達のちがいが自分のなかで明確なのは、その人に自分全部さらけだしていいと思っているかどうかというわりと明確な基準が設けられているから。
「恋人」に恋愛感情の有無も性行為の有無も重要じゃないのは、恋愛感情/性行為はそれそのもので自分をさらけだす必要があるものじゃないから。
元カノのことがこんなに深く傷になってるのも、あの頃私は彼女に人生全部かけてダイブしてたから。だからずっと一緒にいてくれるかどうかが大事で、女同士だからという理由でそれができないと言われたとき社会を恨んだ。
いまパートナー氏と付き合っていてこんなに安定してるのも全部さらけだして受け入れられる私の理想の恋人関係が築けているから。


甘えたいとか自分をさらけだしたいとか受け入れてもらいたいって欲望がまず大きい。
でも早々できない。
生育環境的な問題もあって親にはさらけだせない。
好きな友人、深い関係だと思える友人はそれなりにいるけどその人たちにもどこか心理的に抑制をかけてしまう。弱音を吐けないとかもそうだし「あ、この話口にはしてみたいけど些細すぎてどうでもいいから/いま話してる本筋には関係ないから話すのやめよう」って抑制もある。

恋人ならば、どうでもいい話をしてもいいし、弱音を吐いてもいいし、甘えていいし、頼っていいし、好きでいていいし、互いの人生の少なくとも一定期間は責任を取りあっていいからダイブできる。
って思ってる。
あくまで私の話ね。恋人に比べて友達やほかの関係が劣っているとか恋人関係以外を軽視してるとかって話ではないです。
百合業界では様々な意味を含んだ「お友だち」が万能フレーズなんだぞ。




そういう恋愛観のなかでは、「恋愛感情」は単に「恋人関係」にコミットするためのツールに過ぎないんですよ。
所詮私も少女漫画育ちなので「恋愛感情ー恋人ー結婚」モデルに惑わされてたんですね。女が好きなので結婚≒ずっと一緒にいる意思があることという理解でしたけど。

私の「好き」は選択なので、好きになろうと思ったら自己暗示つづければなれる。なろうとしなかったらならない。
ドキドキするとか無性に会いたくなるとかときめきとかそういうものってすべて「期待」って言葉に変換できると思うんですよね。(嫉妬とかも期待の亜種だと思う)あるいは身の危険信号を誤解する吊り橋効果かどちらか。

恋愛においてベットする(懸ける、じゃなくて賭ける)「期待」の大きさって莫大ですからね。
そのぶん叶ったときの嬉しさ・快楽はでかい。
それが私の「恋愛感情」の正体。私はこれを恋愛感情と呼んでいる。
なんか少女漫画とかBLとか読んでてときめくことも多いけどあれ自分のなかで起きる反応って恋愛感情とまったく一緒なのよね。
ただ「受け入れてもらえないかもしれないけどもらえるかも」と思いながらする恋愛は賭ける量が自分でコントロールできなくなるから振り回される。これが恋愛の業。
オタクってよく「これは失恋としか形容しようがない」みたいな事態になるけど(付き合いたいとは思ってないけど推しが結婚したとか)あれもなんらかの期待が報われなかった、幻想が崩壊したことに対して「失恋」と呼んでるってことだと思う。
だから私もよく失恋する。

パートナー氏と付き合って少し経ったころ、「女相手だとどうしても性欲ありきで見てしまって本当にマッチする相手なのか吟味する目が曇っちゃうから、もしかして私、最初から性欲フィルターかけずに見れる男を選んだほうがよかったのでは!?」と気づいてしまってちょっとショックだった。


当然「恋愛感情」と「好き」も違う。「好き」のなかに「恋愛感情」が含まれる、恋愛感情⊂好きって感じ。
パートナー氏のことは好きだし愛しいし一緒にいたいしできるかぎり私の与えられるものは与えたいし応えたいけど恋愛感情は少ない。受け入れられるってわかってるから期待は大きくなりようがない。
期待すべてが恋愛感情とは言わないので恋愛感情⊂期待ですけど。


で、ついでに「友達」は、ある程度気後れなく自分の言いたいことを言える相手、といったところでしょうか。
だから恋愛感情があっても友達だしセックスしても友達。
性行為あり(複数回)かつ恋愛感情ありについては名をつけない。二次元でいえば恋愛感情かもしれないけどそうじゃないかもしれないけどセックスしてるカプがめちゃくちゃ好き。

わりと結論が出たと思ったのでタイトルに【完全版】ってつけたい。




「だから、たとえ元カノに恋愛感情があっても複数回ヤるなんてことになったとしても、あなたへの気持ちになんの変化もないし、元カノのことを恋人とは呼ばない。私は元カノの人生にはもうなんの責任も持たないし、自分をすべてさらけだしたいという欲望もわかない。
……っていう話を聞いても納得できない?」

「え、なんで今ので納得してもらえると思ったの」

「え……私にとって重要なのは『恋人』でしかなくて恋愛感情も性行為も意味がないものなのになって。だから私はあなたに恋愛感情のない状態で付き合おうって誘ったんだなって気づいたの」

「ああ……でも、俺は無理」

「なんで?」

「一回ヤるのは目的がわかる。でも二回目以降の目的は? 他の人とするのは女体恋しさっていう目的があるけど、元カノさんとなら別の意味になるでしょ」

「女体を求めるのはいいけど元カノを求めるのはだめってこと?」

「特定個人を求めるのがだめ、かな。あとたとえあなたが恋愛感情も性行為もなんとも思ってなかったとしても相手方はどう思ってるかわからない。別にセックスしたいなら風俗でもなんでもあるのになんでわざわざ火種を起こしにいくのか」

「仮に、まあ今までのも全部仮の話だけど、仮にうまいこと元カノとそういうことになれたとしたら、他の人よりそういう雰囲気になる確率が高い。私は元カノとは恋人コミュニケーションしか知らないしできないから。風俗は行こうとしなければなんもないけど元カノとなら単純に可能性が高くなる」

「てことは、友達として何回も会ったらそういうことになる可能性があるってこと? それならやっぱり会ってほしくもないかな。一回会ってさよならっていうならいいけど、それ以降はちょっと。……ごめんねわがままで」

「いえいえこっちがわがままですから。笑
なるほどね。じゃあそれも含めて色々、本当に会うかどうかも考えるね。会いたいっていうのは元カノに対してもエゴだし傷つける可能性もあるし」





他にもごちゃごちゃ話したけどだいたいこんな感じで妥結しました。
パートナー氏は特定の他人を恋愛感情から求めることを浮気だと規定していて、求め方として単に逢瀬を重ねるだけならいいけど想いの結実/実行としてのセックスがあるのは許容できない、ということ。
セックスには目的を求めていて、目的が「自分なかのなんらかの感情を処理する」ことなら自己中心なのでいいけど「相手を求める」となると自己より相手の比重が高くなるので無理だと。

たぶん私は相手が他の人と恋愛感情によるセックスをしていても私の存在意義はその人とは別にあると思えるので私への思いやりや態度に代わりなく私に生活を捧げてくれたら平気な気がする。あーでもその状態でその人への想いやその人との生活が臭わされるのは嫌かな。
ポリアモリー(というかポリガミーのほうかな?)についてはちょっとたしかな想像が及ばないので「もしかしたら大丈夫、かもしれない」の域を出ない。

あ、元カノには会いたいけど、すりあわせの仮定のために持ち出しただけで、今すぐ会う気もセックスに本当に持ち込めるのかも仮に持ち込めたとして二回目以降つづける気もあんまりない。

記録

「一橋大学アウティング事件裁判経過の報告と共に考える集い」に行ってきました。

2017年5月5日、アウティング事件の報告集会に行ってきました。
私はこの件を詳細に追っているわけではありませんが、この場で述べられたことをメモにとり、それをまとめました。


裁判報告についての配布資料がこちら。

↓進行次第・パネリスト一覧
進行

↓時系列の整理
整理


↓原告・相手方学生・一橋大学の主張、裁判の進行、問い合わせ先
主張

本件概要についてのメディア記事:一橋大学ロースクールでのアウティング転落事件〜原告代理人弁護士に聞く、問題の全容
一橋大・ゲイとばらされ亡くなった学生 遺族が語った「後悔」と「疑問」

今回の集会についてメディアのレポ:「差別の視線が同性愛者を死に追いやる」鈴木賢教授は訴えた。一橋大学アウティング事件



問題のまとめ。

・本質は「同性愛者の自己受容」「恋の告白を言いふらされたこと」ではなく「アウティング」「いじめ」
・本件はプライバシー権の侵害に該当。「ゲイ」はセンシティブな情報。アウティングは死に至らしめる危険な行為
恋愛のもつれとして扱われてしまうがそれはちがう。社会の問題
・強制異性愛主義(ヘテロセクシズム)の犠牲。「同性愛者である」から苦悩が生まれるのではない。大学や社会による同性愛への異端視、差別が、同性愛者を死に追いやる。アウティング→自殺に至るひとつのパターンがあり、これは社会構造の問題。これを被告側が理解していないことが問題
・加害者学生は「アウティングより他に取り得る手段はなかった」のか?
・一橋大学の対応は適切だったのか?



【加害者学生の主張詳細(レジュメより引用)】

1 本件アウティングはプライバシー侵害の「公開」には該当しない
2 アウティングと被害者の精神的苦痛には因果関係なし(加害者への複雑な感情、同性愛者であるという事実に向き合わなくてはならなくなったことが原因*1
3 アウティングには正当な理由があり、違法性なし(突然に恋愛感情を告白され、大きな衝撃。つらい精神状態。第3者に言ってはならない義務はない。)*2


【大学側の主張】

「法科大学院生は法的知識も人権意識もあるので大学側が改めて教育する必要はない」
・個人間の問題であり、大学が積極的に介入することではない
「アウティングによる結果ではなく、同性愛を苦にした自死」
・同性愛者の自殺率が高いという統計を引用し、それをスティグマ化して「だから自死したのだ、その原因はアウティングにはない」と主張(裁判を傍聴した有志支援者による証言)


【当時の加害者の思考と行動(南氏の証言と推測)】

・LINEを見るに、加害者がアウティングしたのは"あいつ悪いことしたよね?"とクラスのみんなに共感してもらいたかったからではないか。しかし実際は歯切れの悪く煮え切らない反応……。加害者学生のことも友人として責めきれないし……といったふう

(原氏の意見)加害者の考えとして、本来告白を断ったのだから被害者学生が加害者学生を避けるべきだったにもかかわらずそうならなかった。だから偏見の力を借り反撃しようとしたのでは

・加害者は教授に相談(アウティングとの前後関係は筆者には不明)
 「自分がいづらくなった。なんで自分が遠慮しなきゃならないのか。あいつがクラスから出ればいい」

(被害者の妹さんの証言)机をばんばん叩いたり、わざとぶつけてきたり

【当時被害者が相談した機関とそこでの対応】

(南氏)大学側は同性愛の問題ばかりで「あいつひどいよね」とは対応してくれなかった。

・ハラスメント相談室
 GIDに関する診察で有名なメンタルクリニックへの受診を勧める
 「ハラスメント」問題としてトラブルに介入しようとはせず、被害者本人の心の問題として処理する対応

・法科大学院
 教授「カミングアウトするのは君にとっても損になる。就職にも影響が出るから隠せ」

・保健センター

【事件後の大学側の対応】

・事件発生後教授会に報告はなかった

・ご家族が大学に聞き取りをしようと連絡したら、ご家族の希望日程を聞くなどはせず、「この3日間しか空いていないけれどこのうちから選んでください」と対応

・ご家族が弁護士へ相談。訪問の日に弁護士の同席を伝えたら大学側はキャンセル

・せめてクラスメイトなどに事情を聞きたいと要望するも「公務員の守秘義務がある。学生たちも司法試験をひかえており、クラスメイトも亡くなっている状態なので面会することはできない」と断られる

・これまで(事件後から2017年5月5日現在まで)一度も大学はご家族の家庭へ直接説明に向かっていない

 →裁判を起こすしかなかった(南氏)

・被害者の最後のクラスLINEメッセ(「おかしいんじゃないか<相手方学生名>が弁護士になるような法曹界なら,もう自分の理想はこの世界にはない」「これで最後にします」「いままでよくしてくれてありがとうございました」)をご遺族は知らなかった。被害者のパソコンにあった訴訟準備用と思われるフォルダに残っていなかったため

・法廷での大学側の、「最後にこういうメッセージを残したのだから同性愛を苦にした自死だ」という主張があるまで一年以上知らされていなかった

【大学側対応の問題点について登壇者の意見】

(鈴木氏)
 GID専門の「はりまメンタルクリニック」を勧めた。LGBTの内部の複雑性を知らず、LGBTという符号が一人歩きした結果。

(横山氏)
 キャンパス・ハラスメントの相談対応の第一目的は「安心して学生生活を送り、教育を受け、研究できる環境を取り戻すこと」。
 相談者の自己解決も図るが、重要になるのは加害者への注意・警告と当事者間に入って人間関係・就学環境の調整。相談者と加害者の引き離しが最も多い。
 救済には加害者への働きかけが必要。目的は相談者を励ますことでも事態に白黒つけることでもない。
 →今回被害者の相談は一貫してアウティングされたこと、人間関係がつらいこと。相談室対応は調整として引き離しが第一になるはずなのに、二ヶ月間離れられない状況のまま。ありえない。

【状況の問題点についての意見】

・環境面
 (木村氏)
 法学教育内に同性愛の人権は含まれない。法学教育は判例教育が中心であり、プライバシー権の判例は学ぶが、同性愛の判例は大々的には教わらないままである。
 ロースクールは司法試験のためあえて学生をストレスにさらす30~50人クラスの厳しい環境。いじめの温床になる小中学校の危険性は認知されているがロースクールがそうだとは認識されてない。
 「いじめ」の事件である。
 事件当日も出席必須の模擬裁判があった。抜けられない空間をつくることは危険。

・社会面(告白→断る、という単なる恋愛のもつれとして軽く扱われてしまう)
 (原氏)
 自分たちのとりまく世界の捉え方。ミクロレベル、社会レベル、制度レベルの三段階が実際あるのだが、ミクロレベルにしか捉えていないと恋愛のもつれとして扱ってしまう。だが同性愛はそうではない。「社会的に容認されているのか?」という問題。
 アウティングされると1VS世界全体のゲームになってしまう。世界が敵。フェアではない。ひとりでは勝てるはずがない。だから犠牲が出る。

 (鈴木氏)
 アウティングのショックだけでなく、被害者は、誰かにそれが悪いことだと言ってもらいたかったはず。

【会場内からの事前質問への応答】

「加害学生も同性から告白を受けて重荷を背負わされたと思うことについて、ほかにどうすればよかったのか?」という質問が多数。

(原氏)
・学生相談などを利用する。その際相談室側は被害者と加害者で別々の人が相談を受けるべき。
・アウティングの前にふたりでコミュニケーションを取る。
・「誰にも言わない」という秘密の守られるゾーニングされた場所で相談する。
・自分のいるコミュニティとは別のコミュニティで相談する。


【最後の登壇者コメント】

(原氏)
加害者側にも言い分があると言われるが、そう言われるうちは被害者の安全は確保されない。車の交通ルールと同じ。心理的安全確保の問題。

(横山氏)
相手側の聞き取りが大事。大学側も相談をたらい回しせず、対応を充実させるべきである。

(木村氏)
これは絶対に判例に載る重大事件。いじめの事件でもある。
学校という場は危険、離脱可能な空間をつくるべき。

(鈴木氏)
これは賠償問題に留まらず、政策形成型訴訟である。
制度を変えるため社会に波及していくべきなので、社会的関心が必須。皆さんにお願いしたい。




弁護士南氏自身も「自分も被害者のご家族も「自分たちは正しいのか?」と考えてしまうとおっしゃいました。「間違ってると思うわけではなく、自分たちがなにか突飛なことを言っているのでは?」と。
最後は、弁護士吉田氏の「裁判側が大学側のように捉えてしまうことのないよう弁護士として働く必要がある」という言葉で締めくくられました。

また、一審で敗訴したら控訴で長期化する可能性もあり、裁判所へのご遺族の交通費も負担になるのでカンパを募っていました。
カンパ

感想。
とにかく一橋大学側の隠蔽体質と対応がひどくてびっくりした……。
南氏の言う「自分たちがなにか突飛なことを言っているのでは?」という感覚、とてもわかる。わかってしまう。
「恋愛のもつれ」として扱われてしまうこと、ええ、この事件への反応でいやというほど見た。
私自身も個人的に同性愛を弾圧してくる社会に苦しんだ話をしたときに男女の恋愛と同様に扱われたり個人の問題として矮小化されたりしてきているので……。
個人ではなく社会の問題であると知らしめるための裁判、これが「政策形成型訴訟」の役割ですね。当事者と無関心者の温度差を埋めるための。
台湾で女性らしい言葉づかいでいじめを受けていた生徒の死による事件が社会的関心を集め今日の台湾の同性婚への盛り上がりにつながっていると鈴木教授がおっしゃっていたので、私もヘテロセクシズムに殺された犠牲者のひとりとして、関心を持ちつづけていこうと思う。

今回の記録はメモ起こしなのでなにか誤解等あるかもしれません。補足があれば申しつけください。


*1 加害者は自死の原因がアウティングではなく同性愛苦にあると主張。しかしながら、被害者は相談室や大学院教授に一貫してアウティングの被害を主張。家族には「親友に裏切られた」と説明。被害者は過去同性への告白・失恋経験があり、その後相手と良好な関係を築いていることから明白な因果関係がうかがえる
*2 加害者は「重荷を背負わされ、むしろ自分が被害者である。他に取りうる手段はなかった」と主張。しかし被害者にストーキング等の事実があったわけではなく、告白前と同じように接していたのみ

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引越し

色々あってこちらに引っ越してきました。
元々使ってないのが放置してあったので新しくアカウント取得する必要はなかったのがまあよかった。

たぶんほとんど更新しないけど、いやもしかしたら怨念を吐く場所として縋ることになるかもしれないけど、あけましておめでとうございます。
今のところ同性愛とか異性愛とか社会とか日常とかライブレポとかについて書く予定です。
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ねぎ

Author:ねぎ
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